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空虚。
2007-11-22 Thu 01:07
「煙はどこにいくのか。・・・5000分の1でも、私たちの体にはいるので、いい行いをしていくべきだと、私は思う」

そんな話の後のお経で、今回の一件は締めくくられた。

19日 午前11時26分
私の最愛の人の一人 祖父が旅立った。

正式にはもっと早かったのかもしれない。

始まりは、原発の見学会。
その日は、いつもと違う行動をしていたと叔母が言っていたが
特に気にもとめず、祖父は元気に原発の見学会に出かけていった。
周りは気の知れた知人達で、祖父も明るかったという。

バスに乗り、どれぐらいだっただろうか。

初めの休憩の時、気遣いで祖父を起こしてくれた人がいた。
何度呼んでも起きないので、おかしいと思い、確認したら
意識がなく、救急車を呼んだ。
すぐさま病院に運ばれ、処置をする。

そんな間。

母は泊まりあけで、近くのスーパーで買い物。
私は天気のいい月曜日を過ごしていた。

子供の鼻づまりが気になりながらも、午後からは出かけてみようかと
おもいたった時、時刻は11時半になろうとしているところだった。

母の電話
泊まりあけだと知っていたから、取ってみた。
私「なに?」いつも通りに、話す。
母「じいちゃんが、じいちゃんが・・・」

涙声。というか、泣いてる。私も、何かを察知する。
母は続ける。

母「じいちゃんが、だめだった。
  すぐに帰れる用意をしてほしい。また後で連絡する。」

母にとっては父、私にとっては、家族。
少し遠い様にもかんじるが、祖父は私の小さい頃から
私をかわいがってくれて、家が近くなってからも
母の仕事の都合で週1回は泊まりに行き
小6と中1の時は、母が夜学校の為、毎日祖父の家で母を待ち
その後も、学校に送っていってくれたり、年末行事やら、田植えやら
家族行事には必ず参加するぐらい、私はじいちゃんこだった。

神奈川に嫁に行ってからも、帰ってきたらじいちゃんが通ってくれ
ひ孫ができたときには、なおいっそうかわいがってくれていた。
近所の人が、子供の名前を知っていたときは、本当に涙が出た。

その後連絡を取り、その日の最終便で、祖父の元へ。
バスに乗り遅れて、飛行機に遅れそうになって、不安だったのに。
バスは定刻通りよりはやく、そして飛行機は私たちが乗ってから15分も遅れてくれた。
呼ばれていたのだろうか。

実家についたのは、9時過ぎ。
祖父の元についたのはその日の10時をすぎていた。

車の中で母に話を聞いていた。
祖父は最後、眠るように安らかだったと。

家族に会う、大切なじいちゃんにあう。それはわかってた。
もう死んでしまったことも、頭では理解できていた。
そして帰る時、一番悲しい人を泣かしてあげようと思ってた。

ただ不安もあった。
死体をみたことない自分が、遺体に会うこと。
そして、今後の行事をのりこえられるかどうか。

布団に横たわった祖父に、白い布は掛けられていて
祭壇のなかに線香がゆっくり揺らいでいた。

布を取り、祖父の顔を見る。
「        。」
何も言えない。
そこには、自分がよく知っている、いつもの祖父が寝ていた。
ふつうに自然に、穏やかに、顔がいがむこともなく、ふつうに寝ていた。

こみ上げてきたものがあった。
今にも起きるんじゃないか、死んだのはうそなんじゃないか。
否定がある。私のよく知っている祖父。

夜遅かったこともあって、すぐにその場を後にした。
祖父の家から出たとき、こらえていた涙があふれ出した。
「じいちゃん、寝てるだけじゃん」

最後の顔が、寝顔だった事、苦しまなかった事は、
今となっては私たち家族の救いだった。

上記にも書いたが、祖父との思いでは多い。
母も叔母よりも、私が一番祖父と会話していたように思う。

正直後悔もある。私にとっても、祖父にとっても。
ただ骨になってしまった祖父を見た時
何か、いっぱいいっぱいだったものが、唖然になった。

帰りのバスで
「人はあんなにも簡単に死んでしまうものだろうか」

そんな事を考えていた。

息子がうまれ、祖父も弱っていて、今考えればこれが普通。
客観的に見ればそうだろう。
ただ、一緒に過ごした日々が長い、大切な家族だったから
突然空いた穴を埋めるのは、今の家族の話だけなのだろう。

キャンセルされた母の東京への旅行
アカペラ活動、同窓会の件等々
自分もいろいろ抱えていた身だったので、影響は大きい。
されど、祖父への感謝の機会がこれで最後だと思ってしまう時
正直、どれだけ親しい友人でも私は断ってしまう。
それが仕事でも、なんでも。

星野監督は奥さんが亡くなった時に、仕事を勤め上げた。
正直彼の様な、立派な根性は持ち合わせてない自分。
だから、少しでも祖父を近くに感じたいと骨にてをだしかけた私だったのだろう。

故人を忘れることはない。
”徳 山 光 晏 居 士”
祖父の新しい名前。
22年間以上も待ち続けた祖母との再会まで後少しの余暇
最後の家を、最後の町を、楽しんでいってほしい。

祖父の命日には、毎年祖父が好きだった、”わかば”をそなえようと
そっと心に思った。
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おつかれ。
ゆっくりすればいいさね。
2007-11-22 Thu 02:06 | URL | イツキ #BPVKXLjE[ 内容変更] | top↑
 
 
 
 
 
 
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